映画「Winny」が公開されるなど、”不世出の天才プログラマー”として知られる金子勇氏を再評価する動きが広がっている。金子氏は凄腕のプログラマーとしてソフトウェアの研究開発で活躍していたが、2002年に自ら開発したファイル交換ソフト「Winny」が社会問題化し、2004年に京都府警に逮捕・起訴。その後、長年の裁判を戦い抜き無罪を勝ち取るも、2013年に急性心筋梗塞で死去した。
42歳の若さでこの世を去った金子氏に対しては、今でも「もし彼が生きていたら…」という声が多い。ひろゆき氏もその一人であり、「Winny事件と金子さんの喪失は、日本のITの行方を決定づける出来事になりました」と話す。
ここではひろゆき氏の新刊「ざんねんなインターネット 日本をダメにした『ネット炎上』10年史」のなかから、金子勇氏について語るパートを抜粋・掲載する。
社会問題にもなったファイル交換ソフト「Winny」。その開発により著作権法違反ほう助罪に問われていた金子勇さんの無罪が確定したのが、2011年末のことでした。 僕は昔、金子さんに一回だけ会ったことがあります。たしか、金子さんが逮捕されて裁判中で、弁護士の壇俊光先生も同席していたと思います。そんなWinnyが残した功績と金子さんが逮捕されたことは、後の日本のIT開発現場に大きな影響を与えました。 Winnyは中央サーバを介さずに、個人間のコンピュータを通してファイルのやり取りができる「P2P」という仕組みを用いたソフトでした。これがとても素晴らしい技術だったことは間違いありません。 Winny以前にも、「Gnutella(グヌーテラ)」など似たようなP2Pのソフトは存在していたのですが、あくまでテスト的にみんなが面白がっているだけで実用されている感はなかった。Winnyは実用的なP2Pネットワークとしては、ほぼ初めて成立したサービスと言えます。 現在、仮想通貨に用いられているP2Pの技術は、基本的には金子さんが用いた仕組みと同じようなもので、そこにブロックチェーンという取引履歴を記録する情報を付け加えただけです。 グヌーテラもそうですが、P2Pのネットワークを作ることができるエンジニアは当時もたくさんいました。でも、金子さんは「間違ったソフトとか偽物のソフトを自動的に排除する」という、ほかにはない仕組みをWinnyに搭載させていました。 例えば、流通しているファイルの中に偽物と本物のファイルがあったとして、それを見たユーザーは偽物のファイルを削除して本物を残しておきます。すると、大量に削除されているファイルを「偽物」と判断して流通を減らす一方で、「ユーザーが多く残しているファイルはきっと本物で役に立つものだから残す」という判断をするアルゴリズムが、Winnyには実装されていたのです。 Winnyはひとつのファイルを4つに分割して、それを自分の使わないものと使うものを含めて、ある程度のバランスでデータを流通させます。それによって、人が多く使うデータほどなるべくうまく流通させていました。 つまり、アルゴリズムでバランスを取る微調整をちゃんとやっていた。これは今あるビットコインなどの仮想通貨のP2Pのシステムと比べても、非常に高度な技術なのです。
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抜群だった金子勇さんのプログラミングセンス
また、Winnyを問題なく動かすには、多くのコンピュータが自動的にシナプスのように繋がって処理される必要があり、そのためにはいろんなアルゴリズムや、負荷のかからないプログラムを書く必要があります。 金子さんには、そういったプログラムを作る抜群のセンスがありました。 例えば、金子さんがプログラミングした「画面上の頭部の画像をマウスで動かすと、それに合わせて髪の毛が綺麗に動くように見える」という単純なソフトがあります。仮に、このソフト上で髪の毛を1本1本の動きをシミュレーションすると、すごい計算が必要になって処理が追いつかず動作に問題が出ることになるのです。 しかし、金子さんは「これくらいの毛量で、この動きをすれば人は自然に動いているように見える」という絶妙なラインを見いだして、処理を減らしていました。だから軽妙に動作するうえにソフトのデータ量も小さくて済むのです。 そういったところが金子さんのセンスのよさです。でも金子さんが逮捕したことで、日本はプログラミングのセンスのある人が活躍できない社会になってしまった。これは、とてももったいないことです。 金子さんは東京大学の研究者だったので、あの手のタイプの人がちゃんと残っていれば、恐らく日本のAI技術などもさらに進化していたと思います。 今ではWinnyのシステムを使っている人は見かけません。それは社会の「Winnyがなくなったほうが管理しやすい」という思惑には勝てなかったからだと思います。 そもそもWinnyが問題になったのは、違法なファイルのやり取りや、それに伴うコンピューターウイルスの蔓延です。ファイルのコピーも簡単だし、管理する中央サーバもないので「このファイルを消したい」と思っても止めようがない。結果としてWinnyは問題視され、消えていきました。 しかし、Winnyをなくしても世の中はあまり変わらなかったと思うのです。冷静に考えれば、Winnyの場合は探しても欲しいファイルが手に入らないこともあります。P2Pの性質上、ファイルの入手は誰かがネットワーク上にアップするまで待ち続けるしかないからです。 それが今や、必要な情報はネット上を探せばそれなりに見つけられるし、ダウンロードもできます。Winnyがなくなったとしても、価値のある情報やデータファイルはどこかにアップされ続けています。 つまり、Winnyがあろうがなかろうが、世の中で誰かが持っているファイルを管理下に置くことなどできないのです。Winnyが社会から抹殺されたことに意味があったのかは不明です。しかし、少し本気で探せば、ちょっとしたパソコン知識がある中学生なら欲しいファイルやソフトを入手できてしまう状況があるのは紛れもない事実です。
Winny事件の教訓を日本はどう生かすべきか
金子さんが逮捕されて以降、高裁までは有罪判決が出ていました。最終的には無罪になったわけですが、とても優秀な技術者が長期間、裁判に拘束されたのはもったいないとしか言いようがありません。 その後、金子さんは2013年7月に急性心筋梗塞のため死去しました。亡くなった理由がストレスだとしたら、この事件の影響ははかり知れないでしょう。 最終的に金子さんは無罪になったのだから、逮捕は間違っていたということです。しかし、逮捕した京都府警には何のお咎めもありません。一審の判決を下した裁判官も、今もそのまま普通に裁判官をやっていると思います。何かをやらかしてもお咎めがなければ、これから同じことが起きる可能性は十分にあります。 先日からはWinny事件を題材にした映画が公開されていますが、この映画に僕が望むことがあるとしたら、「金子さんは悲劇の人でかわいそう」や「技術的な観点で逮捕してしまうのはマズい」という部分だけでなく、「間違って逮捕した側が咎められないと構造が変わっていかない」という部分まで描いてほしい、ということです。 そうしないとたぶん社会は変わらない。金子さんの事件を生かしていくためにも、「かわいそうな人の冤罪事件があった」という話で終わらせないような描き方をしてほしいと思うのです。